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ダイブ・バー No.2 - Hacchi
2017/05/01 (Mon) 05:36:36
「ハーイ、ラカエル、ディエゴ!」
優平は、カリフォルニアに来て覚えた頬と頬を交互に軽く合わせるラティーノ流の挨拶をラカエルと交わし、ディエゴとは、軽く手と手をタッチする。
一般の日本人同様、特定の女性以外の抱擁に慣れていなかった優平にとって、当初この習慣には、少なからずの居心地の悪さを感じたものだ。
特に魅力ある女性とは。
ラカエルはブエノスアイレスにある場末の酒場で、ギターの弾き語りをしている。
アメリカでメジャー・デビューを熱望しているが、オリジナル曲が、まだ三曲しかないうえに、本人ほとんど英語を解さない。
ギターを弾きながら歌う姿に、人を魅了するパフォーマーの風格というものが備わっているし、いわゆる美人の類いではないが、愛くるしい女性の魅力も、そして妖艶さも持ち合わせている。
優平は、ディエゴにちょっと嫉妬するぐらい、彼女のことを気に入っている。
どことなく、リサに似てなくもない。
そのディエゴというやつは、ブエノスアイレス大学院でインド哲学を学ぶ学生で、アニメ・オタク。
ホステルに来て此の方シャワーを浴びた形跡がなく、饐えた臭いが鼻につく。
優平は可能な限り、彼とは近づきたくないのだが、何せ彼は、アニメ・オタクなのだから、当然日本人の優平と、アニメや漫画について語りたくてしょうがないのだ。
しかし当の優平にとって、そっちのほうは、管轄外。
もちろん子供のころは夢中で、TVにかじりついて、当時の人気アニメ・シリーズを観ていたのだが、彼の嗜好には、とてもついていけない。
しかし、オタクの常で話し出したら、所かまわず、とまらないやめられない。
閉口するのは、ラティーノの習慣で人と離すとき、お互いの顔と顔の距離が近い。
近すぎて、ときより彼の唾が、顔に飛ぶわ、臭いわで、堪ったものじゃない。
この男、決して悪いやつではないが、「よく、レベッカはこんな饐えた臭いのする男といっしょに寝れるなあ?!」と、優平は思ってしまうのだが…。
「コロナドビーチへ行ったときに、たまたま、歩道でエンジェルストランペットの花を見つけて、摘んできたから、後でお茶にして飲もう」と、ディエゴ。
優平は、「エンジェルストランペットだって?!」
「そうだよ、エンジェルストランペットだよ。 アルゼンチンでは、この花を煮出し、お茶にして飲むんだ。 まあ、軽くハイを楽しむのさ!」と、ディエゴは“ハイ”のところでウィンクして言う。
「えっ、ハイだって?! どんな種類のハイが味わえるのかな?!」と、いつの間にか踊り場に現れたグレッグが、身を乗り出す。
「ちょっとしたイリュージョンを楽しめるのじゃないかな?!」とディエゴ。
グレッグはおどけて、「それは、結構」と、品良く頷いた。
「おいおいディエゴ! 楽しめるんじゃないかな?!って、お前は飲んだことあるんだろう?」と、優平は確かめるように訊ねる。
ディエゴは澄まし顔で、「いや、ないよ。 でも、どんなものかは知っている。 試さない手はないよ! では、今夜のパーティで!」と、奇妙に湾曲した背骨に手を当てながら、踊り場から去って行った。
そのとき優平は、その夜に、世にも奇妙な体験をすることになるとは、露知らぬのだった。